北の湖敏満

今日は第55代横綱、北の湖敏満について書かせていただきます。この方は作家ではありませんが、今日はこの方について書かせて下さい。

北の湖敏満(本名:小畑 敏満)は1953年(昭和28年)5月16日生まれで、北海道は洞爺湖の東側にある有珠郡壮瞥町(そうべつちょう)の出身です。13才で親元を離れ上京し三保ヶ関部屋へ入門。どんどん番付を上げていき、1974年(昭和49年)9月場所で横綱昇進を果たします。入門から8年、21歳で横綱になった北の湖。負けた相手には手を貸さない姿を「ふてぶてしい」「冷たい」など相撲ファンは快く思わず、子供の好きな「巨人・大鵬・卵焼き」とは逆の、子供が嫌いな「江川・ピーマン・北の湖」として認知されることになりますが、横綱としての強さは本物でした。

1985年(昭和60年)1月場所で引退。一代年寄「北の湖」となり、江東区清澄に北の湖部屋を設立。北の湖部屋から東へ50m行ったところに大鵬部屋があり、北の湖部屋と大鵬部屋が並ぶこの道を地元の人は「横綱通り」と呼びます。

北の湖は引退後も理事として角界を支えてきましたが、 2015年(平成27年)11月20日に急逝。現職かつ場所中だったこともあり、北の湖の訃報に非常に驚いたことを今も覚えています。北の湖の死後、北の湖部屋は山響部屋になり、2017年(平成29年4月29日)に江東区清住2丁目から江東区東砂6丁目へ移転しました。

私は幼少期に少しだけ清澄に住んでいたことがあり、先日何気なく北の湖について調べていると誕生日が5月16日(ちなみに大鵬は5月29日)と知りました。清澄は相撲部屋が多く、相撲中継を見る度に幼少期の思い出が蘇ります。